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K.M様より 自己肯定感の低さを形づくるあらゆるブロックの解放4回目を受けられたご感想

けいこ先生
先日のセッションの感想の続きです。
自罰ブロックの正体の気づきを皮切りに、なんとなく新しい感覚があります。

人をたくさん殺して自罰ブロックを持った過去世を知ったとき、「そりゃ当然だよね。でももう許すよ。」と自然に何度も思いました。
過去世なのでちょっと客観的に感じるのと、誰かに許されるものではなく、自分を許すのも自分なのだという感覚がありました。
その時に、自分が創った世界に気づき、自分が決めていたことにも気づき、真っ白なキャンバスに絵をかいていたのは自分しかいないことに気づきました。
自分が世界を創って、記憶して、繰り返しを生きているんだと感じました。

ここからは自分の趣味の文学の話になりますが。
この感覚を知ったとき、三島由紀夫はすごいと思いました。
ずっと、彼が死ぬ直前に書き上げた四部作の「豊饒の海」のラストが謎でしかたなかったんです。
どれだけ読んでも彼の感覚を理解することができなくて、第一部の『春の雪』が良かっただけに最後の作品は読まなければよかったとさえ思っていました。

『春の雪』での主人公の聡子と清顕は悲恋に終わって清顕は死にますが、次の巻からは清顕の転生者らしき人の話があれこれ始まるんです。
散々色々あった後、最終巻の最後の最後で清顕と聡子の知人が年老いた聡子に清顕の思い出話をすると聡子は「そんな人は本当にいたのか?」と言います。
聡子は「記憶というのは幻の眼鏡のようなもの」とか、「全ては心々」というようなことを言い、清顕の転生をずっと追ってきた知人は「記憶もなければ、何もないところに来てしまった」と感じるという終わり方をします。
最初に読了した時は「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!!」でした。
でも昨日ふと、「この境地だ」と感じました。
自分が創った世界だったなと。
記憶も。
それにこだわり続けた自分も。
本来は白いはずのキャンバスに、自分でずっと記憶にとらわれた絵を描き続けていたのかなと思いました。
三島の作品がぴったり言い得ているわけではないのですが、まったく理解不能だったラストと、昨日の気づきが感覚的に一致した部分がありました。

自分がしたことのカルマは解消しなくてはならないという観点とは多少異なる見方かもしれません。
でもカルマというものが終わっても、記憶は続いて、いつからかそれが轍になってしまうのかなと感じました。
先生の解除セッションはそういった轍を取り去ってくれるのでしょうか。
今回はそんな気づきでした。

新しい呪術解除マスター申し込みました。
過去の契約云々は私が最も恐れてきた案件です。
よろしくお願いいたします。

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